不完全性定理は「現代科学の限界」なるものを示してはいない(その0)
今ごろになって、ニューサイエンスの主張への反論を書くことになるとは、思いもしませんでした。ニューサイエンスなんて、流行ったのは四半世紀も前のことですよ。
経緯については、TAKESANさんのところ「批判の仕方の話と科学的方法に関する話: Interdisciplinary」を参照ください。要するに、「不完全性定理と不確定性原理は現代科学の限界を示した」といういかにもニューサイエンスな主張をいまさら信じているらしい人がいて(逃げ道を用意しているつもりか、主張を明確に書かないのではっきりしないが、書いたものを総合的に判断するとそういうことらしい)、反論が必要になったということです。そんな反論、ものすごく「いまさら」なもので、書いてて楽しくないんですけどね。しかも、ニューサイエンスの信奉者が説得不能なことは四半世紀前にさんざん経験しているので、不愉快な記憶が蘇えって気分が落ち込む副作用もあるし。でも、四半世紀前にニューサイエンスに巻き込まれなかった幸運な(?)人や、そもそも、その時代を知らない若い人のための資料にはなるから、たぶん、無価値ではないでしょう。そう思わないと、とても、書けません。すでに、不確定性原理については、同じように考えたであろう方々による反論がいくつかあります。そうなると、立場上、私の担当は不完全性定理について書くことになるのでしょう。
本題に入る前に
不完全性定理と不確定性原理は、ニューサイエンスの連中にさんざん曲解された共通点はありますが、それをとりまく(ちゃんとした)学問状況は大きく異なります。それは、不確定性原理は物理学者の常識だが、不完全性定理は数学者の常識ではないことです。
不確定性原理を知らない物理学者はいないでしょうし、直接使うかどうかはともかくとして、不確定性原理を知らないで物理学者として仕事をすることは不可能でしょう。それに対して、不完全性定理のステートメントを正確に書き下せる数学者はそんなに多くはありませんし、数理論理学を専門にしない限り、不完全性定理を知らなくても数学者としての仕事に差し支えありません。
たぶん、それが原因のひとつで、不完全性定理は不確定性原理よりも、曲解に対するちゃんとした反論が不足しています。反論できる人の数からして、全然違うのですから。
もうひとつ、有効な反論が不足していた原因として、ニューサイエンスが流行ったころ、数理論理学の数学界での地位が低かったこともあります。いや、今も高くはないのですが、当時はもっとひどかったのです。そのために……。どろどろした話になるので、やめときます。
そもそも時代が……
ニューサイエンスの母体であるニューエイジ思想によると、二十世紀後半、魚座の時代から水瓶座の時代に移行することになっています。ところが、ハイゼンベルグの不確定性原理は1927年、ゲーデルの不完全性定理は1931年、どちらも、二十世紀前半のことです。時代が合いません。年代が合わないだけではありません。不確定性原理も不完全性定理も、近代から現代への移行期の最後を飾る成果のひとつです。いわば、現代科学の始まりに位置する一里塚です。それが、現代科学の終りを同時に示しているというのは、不自然ですよね。
まあ、時代が合わないことについては、辻褄合わせをしようとすればいくらでもできますので、ニューサイエンスの信奉者から辻褄合わせが返ってくれば、「ふ〜ん」でおしまいになるだけの論点です。ただ、この論点をぶつけた相手が辻褄合わせの必要性が理解できなかったら、科学史の知識が皆無で、信奉者のうちでも特にレベルが低いと判断することには、役に立つでしょう。