πの実在性またはπへのコミットメントの必要性について

d:id:quine10:20090428:1240909716 より:

「πは3.14で近似できる」という表現をπの「真の値」に言及することなく、有意味に説明して頂く必要がありそうです。

だから、その説明を具体的に行ったのが、d:id:wd0:20090424:a なんですけど。

実数は有理数列から構成されるものだと定義して、列 3, 3.1, 3.14, 3.141, 3.1415, 3.14159, ... がπだとしてしまうこともできます。

この議論の本質的な部分は、コーシーが19世紀にした仕事です。今なら、微分積分学の初歩を知ってさえいれば理解できるはずです。

実在性とコミットメントが違うというなら、それでけっこう。論点は、そこではありません。d:id:wd0:20090424:a の「実在性」をすべて「コミットメント」に書き換えても、上記の引用文が d:id:quine10:20090422:1240359266

例えば、「πの近似は3(あるいは3.14、さらには3.14159…)である」と述べる場合、πはある種の数値を取るということが前提である(それゆえ先の言葉は意味を持つ)。

の反例であることにかわりはありません。

反省と開き直り

言及先の方は、おそらく、数学科の初年次レベルの微分積分学を理解なさってはいないものと推測されます。そのことが悪いとは思いません。そのことに気づかずに、コーシー列を当然の知識であるかのように書いたことは、私の側のミスです。

ただ、私としても、微分積分学入門半期コースをここで開講することはできません。したがって、元記事の著者の説得は端から目指していないことを、ここに宣言させていただくことで、微分積分学の初歩的な知識を前提とした記事を書いたことの言い訳とさせていただきます。私の一連の記事は元記事への批評の形式ですが、一般に批評は元記事の著者の説得を目的とせず、読者への情報提供を目的とするものであるということで、了解いただけるものと希望します。