「我流でゲーデル解釈」について III
前回と同じ個所です。
ゲーデルの完全性定理 が示したことは、
◇ どんな命題であっても、前提と論法から導けるか否か (真か偽か) を、必ず示すことができる。
◇ 前提と論法から正しく導ける命題 (真である命題) は、有限個である。
つっこみどころが複数あるので、ひとつずつつっこんでいます。今回は二つめのつっこみどころです。
「前提と論法」は「公理と推論規則」の間違いだろうと、前回、書きました。「導けるか否か (真か偽か)」は致命的な間違いであることも、前回、書きました。しかし、引用文のこの二箇所を直して「どんな命題であっても、公理と推論規則から導けるか否かを、必ず示すことができる。」としても、まだ、まるっきり間違っています。これは、完全性ではありません。証明可能性の決定可能性です。そして、一階述語論理では証明可能性は決定可能でないことが、すでに知られています。
前回までに書いたとおり、完全性とは、任意の解釈で真である(恒真)ならば、公理と推論規則から導くことができる(証明可能)ということです。一階述語論理がこの意味で完全であるというのがゲーデルの完全性定理です。
くりかえしますと、元記事は、完全性とはまったくの別物を完全性と呼んでいるのです。
この個所のつっこみどころは、まだ、残っています。
(つづく……といいなあ)