不完全性定理は「現代科学の限界」なるものを示してはいない(その0つづき)

これまでのお話

不完全性定理の「不完全」には欠陥や欠点のニュアンスはない

不完全性定理は、英語では incompleteness theorem 、仏語では théorème d'incomplétude 、独語では Unvollständigkeitssatz といいます。いずれも、数学での慣習にしたがって直訳すると「不完備性定理」です。実際、「不完全性定理」よりも「不完備性定理」のほうが定理の内容に沿っています。

手許のスーパー大辞林では「すべてを備えていること」と説明されている「完備」です。「駐車場完備」や「冷暖房完備」の「完備」です。「完全」とは違って、価値があることは必ずしも意味しません。駐車場完備であることは自動車を使わなければどうでも良いことですし、レーシングカーが冷暖房完備だと無駄に重くなってレースでは不利になるでしょう。不完全性定理の「完全」は、任意の文についてそれとその否定のいずれかが証明可能の意味なので(詳細は次回以降解説予定)、むしろ、「完備」が語感は近いでしょう。すでに、「不完全性定理」が定着してしまったので、いまさら日本語を変えることはできないでしょうが。

「不完全」の語感だけから「現代科学の限界」がどうのこうのと言っている人々は、「不完備性定理」でも同じことを言うでしょうか。