尖閣諸島における標準時について

たぶん、ほとんど知られていませんが、私は昔、各種OSにおける時差の扱いについて調べるチームを結成したことがあります。そのチームは、誤ったデータを修正したり欠けたデータを追加したりの貢献をして、目的を達成して解散したのですが、実用的には問題ないやり残しがあって、今も個人的に気になっています。ふと、思い出したので、そのひとつをここに記録しておきます。

1896年1月1日から1937年9月30日まで、日本の国内に時差がありました。今の日本標準時にあたる中央標準時と、中央標準時より1時間遅れた西部標準時の二本立てでした。西部標準時の適用範囲は、明治二十八年勅令第百六十七号(1895年12月27日公布)で*1「台湾・澎湖・八重山宮古」と定められています*2

勅令の定める西部標準時の適用範囲に「尖閣」は書かれていません。しかし、経度からは尖閣諸島でも西部標準時を適用したほうが自然です。可能性は二つです。

    1. 尖閣諸島は西部標準時の適用範囲から外され、中央標準時が適用されていた。
    2. 尖閣諸島は「台湾・澎湖・八重山宮古」の一部とみなされ、西部標準時が適用されていた。

現在、尖閣諸島石垣市に属していることから類推すると、八重山の一部として2だったのがありそうです。しかし、交通や通信の都合で沖縄本島に合わせたほうが便利だと判断して1だった可能性も否定できません。

片手間での文献調査の限界で、調査はここで止まったまま、10年以上放置しています。

*1:勅令は天皇の命令の意味ですが、当時、どこの省庁にも属さない政令は勅令として公布していたようです。今なら内閣告示が果たしているのと同じ役割といってよいでしょう。

*2:ちなみに、この勅令は図書館で当時の官報の現物(写しではなく)を読んで確認しました。官報はかなりの部数刷られているので、古いものでも各地の図書館に残っています。この手の調査が必要な方は、ググるのではなく、お近くの図書館で司書さんに相談することをお勧めします。[2011年4月6日追記:e-govの法令検索は後の改訂を反映した現在の条文を表示しますので、公布当時の条文を調べるには適しません。]