書評評(書評を対象とする評論)

ブログ記事「理性の限界?(2)〜不完全性定理:異端的考察」を読みました。いいたいことはわかりますが、表現の細部が粗雑です。もったいない。というわけで、どこが粗雑かを論点として批評を書きます。なお、当該ブログ記事は『理性の限界』(高橋昌一郎isbn:9784062879484 への書評ですが、私は対象の本を読んでいませんし読む予定もありません。したがって、この書評評では、当該ブログ記事が対象の本を適切に評価しているかを批評の対象としていません。あくまでも、独立した著作物としての記事の批評です。

まず、いただけないのが、これ。


なお、不完全性定理の方では、純粋にアルゴリズム的な話(これを「構文論的」という)しか出てこない。つまり「真」とか「偽」とかは一切登場しない。
ここだけで、粗雑なポイントが二つあります。

一つめは、「アルゴリズム的」と「構文論的」が同じものであるように読める書き方をしている点です。「アルゴリズム的」をどう解釈するかにもよるのでさらに微妙になっちゃうけど、一般に「構文論的」だけど「アルゴリズム的」でないものは、なんぼでもあります。\mathcal{L}_{\omega_1\omega} とかを触ったことがあればわかるはずです。逆に、「構文論的」でなく「意味論的」だったら「アルゴリズム的」でないとも限りません。モデルの作り方の計算可能性の議論なんて、普通にするでしょ。

二つめは、「一切」は強すぎるということです。まず、不完全性定理ステートメントに「真」「偽」が登場しないのは本当です。また、不完全性定理の一般的な証明で「真」「偽」を使わないのも本当です。でも、不完全性定理のどの証明でも「真」「偽」が登場しないと思ったら、間違いです。意味論的な別証明もあり、そこでは、「真」「偽」は登場します。

最初に書いた通り、いいたいことはわかるので、今からでももうちょっと緻密な表現に書き換えてもらえないもんでしょうかね。